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2010年2月

2010年2月27日 (土)

リアルに生きているか?

肉を買ってきて晩飯のおかずにする。だけど世の中には「お肉」
なんてものはないんですよ。あれは牛の屍体なんですよ。牛の屍体
を「お肉」なんていいくるめて平気でいるのが僕らの生活だった。
何か堪えがたいほど居心地のいい、うその生活ですよね。ところが
、そういう生活に平気でいる人は、牛をさばく人に感謝するどころ
か、逆に白い目で見たりします。
車谷長吉『漂流物』愚か者「ぬけがら」より
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リアルである、ということを考えます。自分の生活はリアルなのだ
ろうか。いろいろなたいへんなこと、手間がかかること、やっかい
なことを色々言い訳をして、誰かにやってもらっているだけでは
ないか、と。
この言葉に当たったとき、ガツンときた。今でもこの言葉には心が
ざわつく。平気でいられたら楽なのだと思う。あたりまえだと思え
ば、平気なのです。でも、ふと疑問に思うと苦しい。どうにも苦し
くて、生きていくことが一気に辛くて大変なことになる。でも、
その苦しみを抱えて生きることが、リアルに生きることなのかも
しれないと思うのです。

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2010年2月24日 (水)

無力であることの自覚アリマス

自分が無力であると認めるのはつらいことですが、おのれの無力さ
や無知さを知らない人の行為はときに恐ろしい結果を招く場合も
あるのでは、と危惧しています。
天童荒太『永遠の仔』より
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私は1ヶ月に2、3回くらい自分の無力さに落ち込みます。
そのマイナス思考は数日続くので、つまりは、いつでも自分に自信
をなくしているということです。
ハッタリと勢いでなんとかやっていますが、その後、必ずその反動
が来ています。確実に来ています。
あまりにも自分に自信がないので、誰でもうらやましく思えたり
します。「友がみな我より偉く見ゆる日よ」の啄木みたいです。
でも、天童荒太のこの言葉を聞いて、自分の無力さに落ち込むこと
も一概に無駄ではないのかな、と少し心が休まるようです。

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2010年2月23日 (火)

カラシ多めですか?

つまりサンドイッチの年だ。
そういう時はよくかみしめなきゃならん。
カラシがいっぱいで涙がでても
全部食べなきゃならんのだ
『サンドイッチの年』より
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辞めることは出来ない。
進むしかない。
きっとカラシの部分を避けることは出来ない。
きっと人生にカラシはつきもので
その辛さをぐっとこらえて逃げずに噛み締めたかどうかが
深みや厚み、味わいになるのかもしれないと思う。
が、ちょっと辛すぎやしないか、と
思うこともあるのだけれど。

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2010年2月22日 (月)

そういうわけだからがんばります

人間にはひとつとんでもない欠点がある。なんだかわかるか。
たえず腹が減るってことよ。そういうわけだからがんばりな。
井上ひさし『人間合格』より
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どんなにアタマでがんばろうと思っても、
カラダは正直だ。
生きるために必要なことをこっちの都合などおかまいなしで
要求してくる。
でも、それが生きるってことなんだよね。
格好悪くてもカラダの要求する通りに
生きていくしかないんだね。
なんにも思う通りになるものなんてないんです。
そういうわけだからがんばるしかないか。

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2010年2月21日 (日)

雪の降る空を見上げると。

雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの
世界の方が上へ上へと昇っているのだ。静かに、滑らかに、着実に、
世界は上昇を続けていた。ぼくはその世界の真中に置かれた岩に坐
っていた。岩が昇り、海の全部が、厖大な量の水のすべてが、波一
つ立てずに昇り、それを見るぼくが昇っている。雪はその限りない
上昇の指標でしかなかった。
池澤夏樹『スティルライフ』より
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ビルの窓から雪が降ってくるのを見ていたとき、雪が昇ってくる
感覚におそわれたことがあった。
自分の置かれている位置が心もとなくなり、軽い目眩のような
感覚だった。
雪がしんしんと降ってくると、降る雪を見上げて、いつもこの言葉
を思い出す。
雪は降るのではない。私たちが昇っているのだ、と。
雪の降る白い世界では、なにか不思議な感覚になる。

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2010年2月20日 (土)

イッセーさんの舞台はいいねぇ

あしたが見えなくなったら、あしたを見ずに、
10年後のヘコんだ自分を励ます準備をしろ
イッセー尾形
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イッセーさんの舞台で、イッセーさん扮するタカタカちゃんが
アンコールで唄ってました。
あしたが見えないのを無理に見ようとするから
焦ったり落ち込んだりするのかな。
ヘコむこと確実だったら、しかたないじゃない。
どう励ませば元気になるか考えたら、10年後楽になるかな。
無茶な感じなんだけど
なんだか元気が出るような気がすることばでした。

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2010年2月19日 (金)

最悪な事々

でもね、あれよ、最悪からみれば幸せよ。
遊◎機械/全自動シアター『オー・マイ・パパ』より
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私はいつも、サイアクだぁ、と良く言います。
でも最悪の状況だとは思っていません。
本当に最悪なときは、声も出ません。
まったくもって「最悪」の状況を私のなかに2、3持っています。
最悪であるなら1個なんでしょうが、分野別に2、3個あります。
それから比べると、日頃の「サイアク」は「最悪」ではないことが
よくわかります。
そんなに最悪なことが何度もあってたまるか、という感じです。
小さな「サイアク」は日常茶飯。
でも、「最悪」から比べたら、「サイアクだぁ」といえるくらいは
幸せだってことですな。

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2010年2月18日 (木)

介護する側される側どちらも生きていかなくてはならないんです

みんなひとりでやってしまうねん。やろうとしたらできてしまうん。
だけどしんどいねん。みんなひとりでいきていかれへん。まわりに
やってもらわな。
綾戸智絵
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介護というのはたいへんです。
一緒に暮らすということだけがベストでもないと思うし
介護される側とする側、両方が生きていかなくてはならない、
ということを忘れてはいけないと思うのです。
その状況になった時、
「現実」を見ることができるかどうか。
自分(介護する側)もいきていかなければならないという現実を
忘れずにいられるか。
共倒れにならないような、長いスパンで頑張らなければならない。
体力の配分もお金の配分も、いろんな意味でバランス感覚を持って
判断できるかどうか。
見る人から見れば、冷たい判断のように見えるかもしれないけれど
私たちは、選んでいかなくてはならない。
そんなことを言えるのも、母の介護という体験があってのこと。
精神的にも、金銭的にも大変なことです。
今も継続中ですが、他の人の力を借りつつなんとかやっています。
でも、施設等他の力を借りるのも、それはそれで大変なことだ
ということも痛感しています。

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2010年2月17日 (水)

かなたのかなたのいつかのいつか…はあるのか?

かなたのかなたのいつかのいつか、ぼくはあいかわらずだろうな、
そんな気がする、そうだといいよね
遊◎機械/全自動シアター『僕の時間の深呼吸』より
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遊◎機械/全自動シアターの山田のぼるという少年のキャラクター
が大好きで、よく東京まではるばる観にいったものでした。
かなたのかなたのいつかのいつか…
たぶん、あいかわらずなんだろうと思う。
人の根本的部分は、そう変わらないものなんだ。
山田のぼるくんくらいの小学生の頃からすると
今あたりが、
かなたのかなたのいつかのいつか…
に当たる頃なのかもしれないけど、
変わったところはかわったのだけれど、
基本、あいかわらず、だと思う
変わらないって言えば変わらないんだなぁ。
これからの、かなたのかなたのいつかのいつか…ってどうだろう。
あいかわらずなんだろうとは思うんだけれど、
その時期が、あるのかどうかというのが疑問です。
根本的な問題です。

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2010年2月16日 (火)

そらみたことか!っていってみたいなぁ

「なにそれ!ばかみたい!」っていうようなことが集まって
「そらみたことか」になるの
遊◎機械/全自動シアター『オー・マイ・パパ』より
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無意味なことみたいに思えることでも
それが繋がったときに
かたちになることってあるんだ、と思う。
全然影響がなさそうなひとでも
細かいことを集めて
大きな波になることだってあるんじゃないの?
って、思うよ。

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2010年2月15日 (月)

またまた、ハニカミのこと

男のやさしさには、人間としてのかなしみやはにかみの裏打ちが
あるように私には思えます。
やさしいしぐさ、やさしいことばをかける時の男の顔は、私の
知っている限り、どこかかなしげであり、はにかみを浮かべて
いるのです。
向田邦子『女を斬るな狐を斬れ』
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向田邦子に憧れていた。
20代の頃。
その生き方に憧れていた、
と思っていたのだれど、
その生活の仕方に憧れていたような気がする。
美しい器、おいしい料理、旅行、
魅力的な人たちとの繋がり・・・
20代、私が憧れていたのはきっと外側の
見える部分。
人としての深み、というのを感じられなくては
自分も厚みのある人生にはならないだろうと思えます。
はにかみが人の深みをあらわすものだからこそ
“教養”に繋がるのかもしれませんね。

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2010年2月14日 (日)

バレンタインデー

一ばんいいひととして、ひっそりと命がけで生きて下さい。
                      コイシイ。
太宰治
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太宰はすごい。
なんだかすごいなぁ。

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2010年2月13日 (土)

さよならだけが人生だ

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
井伏鱒二『勧酒』
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先日、恩師が亡くなりました。
とてもお酒の好きな方で
中国旅行に行った時
老酒を楽しそうに飲んでいたのを思い出します。
その円卓にはカエルの姿煮のピラミッド。
だれも箸をつけようとしないのを
うまいうまいと先生は美味しそうに食べていました。
ウサギやらナマコやらサソリやら
大騒ぎしながらみんなで食べました。
ご一緒させていただいた3回の中国旅行は
私にとって人生観を変えた旅でした。
広大な砂漠と真っ青に抜けるような空
砂嵐で霞む街の風景
何千も前の遺跡
自分の小ささを思い知らされました。
でもそのおかげできっと何かが変わったと思います。
哈密(ハミ)で食べたハミ瓜
桜蘭で飲んだ葡萄酒
美味しい思い出ばかりが思い出されます。
さよならだけが人生だけど
老酒を飲んでいる先生は、
これからも、私の思い出話のなかに時々登場するのでしょう。

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2010年2月12日 (金)

未来を知りたいとはあんまり思わない

星は未来だ、おれは未来が知りたい。君は? 私もよ。
『勝手にしやがれ』より
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と、若い頃は思いました。
しかしながら、
最近では、この先を考えると具体的に思い浮かびすぎて
そしてその具体的な事柄が色々と迫ってきて、
考えれば考えるほど不安になってくるので、
そのへんはほどほどにしておきたいと思う今日この頃です。
未来が知りたい、と言えるのは
その先が漠然としていて想像もつかない時代の話で
それが「若さ」というのかもしれません。
自分はまだそんなに年だとは思ってはいませんが
こんなことを考えていたら
少なくても「若くはない」のだなぁ、と
しみじみ思ってしまいました。

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2010年2月11日 (木)

キラキラヒカルガラス玉をつくる

キラキラヒカレ ガラス玉
キラキラヒカレ フシアワセ
ナイテウタッテ イルウチニ
キラキラヒカレ ナニモカモ
寺山修司『キラキラヒカレ』より
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
トンボ玉をつくりました。
ガラスを溶かして丸くして
別の色ガラスを流して
マーブル模様のガラス玉2つ。
溶けるガラスと向き合って
丸くすることだけを考えて。
そんな時間もよいものでした。

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2010年2月10日 (水)

涙はあまいかしょっぱいか

なみだは人間のつくるいちばん小さな海です
寺山修司『人魚姫』より
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
寺山修司はやさしいなぁ。
この言葉を目にするたびにせつない想いになります。
それでも、なぜかココロが温かくなります。
とてもとても繊細で
硝子のような言葉に思えます。

なみだの海には
きっと、色々なものがたりがあって
蒼く深く
そしてしょっぱい
でも、どの海も美しいのです

そういえば、
涙が出る時、カラダが熱くなるのは
ココロが冷たくならないようにするためなのか
なんて考えてしまいます。

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2010年2月 9日 (火)

ハニカミを知れ

教養の無いところに幸福無し、教養とは、まず、
ハニカミを知る事也。
太宰治書簡昭和21年
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ハニカミ王子なんて言葉が流行りましたが、
ハニカミを知る人って少なくなったのでしょうか。
テレビでは、
反っくり返って持論を展開している人が
毎日毎日映し出されている。
確かに実力があるのかもしれないけど
なにか違うような気がする。
教養のある人のイメージと傲慢な人は繋がらない。
傲慢に見える人というのは、
どんなに頭の良い人でも、
経済的に豊かな人でも、
社会的に地位のある人でも、
教養のある人には見えない。
たとえば、
何かに自信がついたとき、
もしくは、自分の立場があがったとき、
ハニカミを忘れずにいられるか
テレビに出ている人だけじゃなくて
自分自身にも言い聞かせなくてはいけません。

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2010年2月 8日 (月)

進むところに日は当たる

私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向
に陽が当るようです。
太宰治『パンドラの匣』より
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
迷ったら進んでみてもいいかな、と思います。
進んだ方に陽が当たるのなら、陽の当たるところ
をさがしていてもはじまらないしね。

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2010年2月 7日 (日)

継続した安心感なんてそもそもあるのだろうか

その場限りの安心感が人を救うこともある。
気休めは大事だよ。
『重力ピエロ』より
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その場限りでもいいから
大丈夫、と言ってほしい時がある
気休めのことばだって
気を休める効果はある
ほんの一瞬気を休めたことで
次に進めることがあるからね

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2010年2月 6日 (土)

自分の心は枯れてはいないか?

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにするな
みずから水やりを怠っておいて
茨木のり子『自分の感受性くらい』より
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
20代の頃から
このことばを
なにかの折に思い出してきました
周囲の環境に気力を奪われているようなときに
ふと思い出す言葉でした
自分の心は渇いていないか
自分で心を枯らしてはいないか

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2010年2月 5日 (金)

自分がここにいることを忘れるな。

見たいと思う世界の変化にあなた自身がなりなさい。
マハトマ・ガンジー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
なにより自分が動くということが大事なのだ。
いつでも当事者であれ。
その環境に不満であっても、そこに自分がいる事実。
自分をどこかに置き忘れて論じているだけでは
何も進まないよ、と。
自分が無力なことは知っている。
でも、思いがあるなら動くことしか方法はないんだ。

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2010年2月 4日 (木)

夢をもってもいいじゃないか

挑まないと、「経験」というものは、手に入らない。
『ナガオカケンメイの考え』より
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「挑む」という言葉を忘れていたような気がする。
もう40も過ぎたし、仕事(会社)に対して多くを望まない
なんて思うようにしていた、ような気がする。
今自分がいる会社を良くしたい、良い会社で働きたい
なんてちょっと恥ずかしいような感じになっていたような
もしくは、私が口出しすることじゃないと
思い込もうとしていたのかもしれない。
でも、今ここで自分が働いている以上、
会社に夢を持ってもいいのではないか
自分の会社に夢を持つべきなんじゃないか
と思った。
転んでしまうかもしれないけれど
無茶してみようかと思う42歳の冬なのでした。

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