詩人のことば

2010年5月16日 (日)

さみしさの解決法

あのね、自分のさみしさにかまけていると、
さみしさはなくならないよ。
そういうときは他人のために何かするんだ。
ボランティアでもアルバイトでも。
そうやって自分を他人とシャッフルして忙しくする。

谷川俊太郎『ほぼ日刊イトイ新聞ー谷川俊太郎質問箱ー』より
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谷川さんの答えは、
胸の中に沁み入るものが多い。
質問に「答えている」というよりは
質問を抱える気持ちに「応えている」という感じがする。
自分の抱く質問自体を考え直させるような
そんな答えに涙が出そうになることもある。

人は自分以外の人との関わりの中で生きていくもので、
自分以外の人のことを考えることで
自分の位置を確認しているのかもしれない。
あまりに自分のことばかり考えすぎると
自分の立ち位置がわからなくなって道に迷ってしまうのが
さみしさなのかもしれないなぁ。

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2010年3月24日 (水)

春のかなしみ

あの青い空の波の音が聞えるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい

透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった

谷川俊太郎『かなしみ』

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春になると悲しくなる
その悲しみは
この詩のなかの悲しみに似て
春になると
この詩を思い出す

春は新たな明るい季節というけれど
私にとっては
どうもそうではないらしい
どちらかというと
失う季節だ
今まで失ってきたものを
ふと思い出させる季節だ

桜は咲き
そして風に散り
そうやって今年もきっと春を乗り切る

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2010年2月 6日 (土)

自分の心は枯れてはいないか?

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにするな
みずから水やりを怠っておいて
茨木のり子『自分の感受性くらい』より
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20代の頃から
このことばを
なにかの折に思い出してきました
周囲の環境に気力を奪われているようなときに
ふと思い出す言葉でした
自分の心は渇いていないか
自分で心を枯らしてはいないか

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