人のことば

2010年7月 4日 (日)

飛べよ、首!

「舌打ち」をしたら、首から上がぽんっと吹っ飛ぶ仕様になって
いればいいのに。

穂村弘『絶叫委員会』より
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この本のなかで、最も短くて最も完璧な逆効果発音は「舌打ち」
で、世界全体に対して逆効果だと言っている。
同感。
「ちっ」という音で、全てが暗転するくらいだと思う。
舌打ちをするほうの、その時の気持ちも含めて、全てが暗転、
もしくは、終了。
でも、
こんな仕様だったら、ぽんぽんっと至る所で音がしそうで、
ちょっとコワイ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月 1日 (木)

何事も具体的にすること

目標が具体的かどうか

ちょっとしたことだが、ここが成功する人としない人
との決定的な差だ

柳井正(ファーストリテイリング社長)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

具体的であるということは
その時点ですでに一歩踏み出している
具体的にならないかぎり
前には進めない
具体的にするということは
頭の中が整理され
自分がどう進むのかが
提示されているということだ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年5月22日 (土)

深さについて

むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをゆかいに
ゆかいなことをまじめに
書くこと

井上ひさし
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

文章を書くこと
人に伝えること
物事の深さ
それをあらためて考えさせられることばです


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年5月20日 (木)

真っ当

「運」の質を決定づけるのは、紛れもなくそれらの行動や考え方に
どれだけ「真っ当」さが含まれるかによるからです。

桜井 章一『運に選ばれる人 選ばれない人 』より
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

最近、真っ当、ということを考えることが多い。
真っ当に仕事をすること
真っ当に人とつきあうこと
真っ当に生きること
何事も真っ当にしようとするとけっこうしんどい
でも真っ当にしないと自分に力がつかないし
真っ当にすることが一番強い
そう考えれば、
運の質が「真っ当さ」に関連してくるのは
当然のことなのかもしれない

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年5月18日 (火)

当事者意識はあるか

不満分子で終わってはいけない。

寺島実朗
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

組織に所属している限り「不満」は、
多かれ少なかれ生まれるものではないかと思う。
その時に、その不満を訴えるというのもアリなのだと思うが、
不満を言い放つだけで良いのか、ということだ。
自分は確かにその組織の中でどうこうできるような
立場ではないし力もない、
だからといって、不満をなんとかしてくれ、
と言っているだけでよいのか。
そういう状態について、いつもどこかで違和感をもっていた。

少なくてもその組織に所属しているのであれば、
いくら力がないといえども、自分もその組織の一部なのである。
そうだとすれば、
他人事のように「どうにかしてくれ」でいいのか。

不満分子で終わってはいけない、ということばは
会社や地域、国や家族にもあてはまりはしないだろうか。
その中に所属しておきながら、
さも自分はそのなかにいないかのように
不満だけを言い放つのはいかがなものだろう。
結局、不満を言っているだけでは何も進まない。
自ら当事者意識を持つことで、
思考や行動が変わるのではないか。

このことばは、
最近の世の中にも当てはまるし、
自分自身にも痛いことばでした。
当事者として考え行動しているか、
と自分に問いかけなくてはいけません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月18日 (木)

事実と真実


あふれるほど「事実」は報道されます。表面に見える「事実」が
多ければ多いほど「真実」は隠されます。

橋田信介『世界の戦場でバカとさけぶ』より
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この世の中は、日々事実が報道されています。あふれるばかりの
情報です。でもそのあふれる事実の中の何が「真実」なんだろう、
と考えるとわからなくなります。情報の海の中で溺れている自分
に気がつきます。事件にしても政治にしても社会問題、国際問題、
その「真実」はいつも霧のなかです。
多くの事実であふれた世の中で、真実をわかったつもりになって
しまってはいないか。そうかそうか、なんて納得した気になって
それで終わりにしてはいけないことが山ほどある、と思うんだ。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月14日 (日)

想いを包む

布染めつ 心染めつ
絲アヤオリ 想ヒアヤオリ

柳宗悦の『心偈』より
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ことばは美しいと思う
短いことばのなかに
色や温度や想いが包まれていて
それがほんのりと香ってくる

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月18日 (木)

介護する側される側どちらも生きていかなくてはならないんです

みんなひとりでやってしまうねん。やろうとしたらできてしまうん。
だけどしんどいねん。みんなひとりでいきていかれへん。まわりに
やってもらわな。
綾戸智絵
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
介護というのはたいへんです。
一緒に暮らすということだけがベストでもないと思うし
介護される側とする側、両方が生きていかなくてはならない、
ということを忘れてはいけないと思うのです。
その状況になった時、
「現実」を見ることができるかどうか。
自分(介護する側)もいきていかなければならないという現実を
忘れずにいられるか。
共倒れにならないような、長いスパンで頑張らなければならない。
体力の配分もお金の配分も、いろんな意味でバランス感覚を持って
判断できるかどうか。
見る人から見れば、冷たい判断のように見えるかもしれないけれど
私たちは、選んでいかなくてはならない。
そんなことを言えるのも、母の介護という体験があってのこと。
精神的にも、金銭的にも大変なことです。
今も継続中ですが、他の人の力を借りつつなんとかやっています。
でも、施設等他の力を借りるのも、それはそれで大変なことだ
ということも痛感しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月 5日 (金)

自分がここにいることを忘れるな。

見たいと思う世界の変化にあなた自身がなりなさい。
マハトマ・ガンジー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
なにより自分が動くということが大事なのだ。
いつでも当事者であれ。
その環境に不満であっても、そこに自分がいる事実。
自分をどこかに置き忘れて論じているだけでは
何も進まないよ、と。
自分が無力なことは知っている。
でも、思いがあるなら動くことしか方法はないんだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月 4日 (木)

夢をもってもいいじゃないか

挑まないと、「経験」というものは、手に入らない。
『ナガオカケンメイの考え』より
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「挑む」という言葉を忘れていたような気がする。
もう40も過ぎたし、仕事(会社)に対して多くを望まない
なんて思うようにしていた、ような気がする。
今自分がいる会社を良くしたい、良い会社で働きたい
なんてちょっと恥ずかしいような感じになっていたような
もしくは、私が口出しすることじゃないと
思い込もうとしていたのかもしれない。
でも、今ここで自分が働いている以上、
会社に夢を持ってもいいのではないか
自分の会社に夢を持つべきなんじゃないか
と思った。
転んでしまうかもしれないけれど
無茶してみようかと思う42歳の冬なのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)