作家のことば

2010年5月21日 (金)

絶望するな。

元気で行かう。絶望するな。では、失敬。

太宰治『津軽 』より
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太宰に絶望するな、といわれても
ともおもうのですが、
太宰は人一倍絶望したくないと思っていたのではないのか、
と思います。
元気で行きたかったのだと思います。
でもカラダとココロが元気に行けなかった。
ことばは太宰そのものです。

太宰のことばはやさしい。

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2010年3月22日 (月)

真っ当なことを真っ当におこなうということ

竜馬は終生、餅はあくまでも餅にすぎぬ、という考えの持ちぬし
だった。腹がへった時に食えばよい。

司馬遼太郎『竜馬がゆく』より

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このストレートな考え方は当たり前に出来そうで出来ないことの
ように思う。
色々な「意味付け」が出てくると、真っ当で当たり前のことが
ゆがんでしまうということは、世の中にあふれている。
日本のためだと言って殺し合いをしたり、仲間を追いつめたり、
それは何も幕末のことだけではない。会社のためと思ってルールを
破ってしまったり、日本のためだと言って人を貶めたり、今の
世の中でも山ほどあるじゃないか。
自分だって、よっぽど注意しないとその妙な「意味付け」とやらに
惑わされて、真っ当な道から外れてしまうことはあり得る。
まわりの状況がどうであれ、自分への利益がどうであれ、真っ当
なことを失わずにいられることは大事だけれども難しいものだと
つくづく思う。

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2010年3月15日 (月)

大丈夫。どうにか、なる。

生活。

良い仕事をしたあとで
一杯のお茶をすする
お茶のあぶくに
きれいな私の顔が
いくつもいくつも
うつってゐるのさ

どうにか、なる。

太宰治『晩年』より
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太宰のことばはやさしい。
どうにもならないと思ってしまいそうなとき
(もしくは思っているとき)
「どうにか、なる」と声に出すのかもしれない。
弱っている心には、太宰のことばはやさしく沁みる。
きっと「どうにか、なる」。

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2010年3月13日 (土)

自分以外の人生

あなたの知らないところにいろいろな人生がある
あなたの人生がかけがえのないように
あなたの知らない人生もまたかけがえがない
人を愛するということは知らない人生を知るということだ
灰谷健次郎『ひとりぼっちの動物園』より
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今「自分」ばかりをみていないだろうか
「自分が」苦境にある
「自分が」苦労している
「自分が」嫌な思いをしている
「自分は」これだけがんばっているんだから
「自分は」悪くない
こんな思考になっていないだろうか
でも、苦しんでいるのは自分だけじゃない
自分が苦しんでいる今この時に私以外の誰かも苦しんでいるかもしれない
もっと大きな困難に立ち向かっているのかもしれない
自分だけが「かわいそう」なわけではないと
思えるかどうかだ
自分以外のだれかの人生を認めること
それは心のバランスをとるのにとても重要なことのように思う

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2010年2月27日 (土)

リアルに生きているか?

肉を買ってきて晩飯のおかずにする。だけど世の中には「お肉」
なんてものはないんですよ。あれは牛の屍体なんですよ。牛の屍体
を「お肉」なんていいくるめて平気でいるのが僕らの生活だった。
何か堪えがたいほど居心地のいい、うその生活ですよね。ところが
、そういう生活に平気でいる人は、牛をさばく人に感謝するどころ
か、逆に白い目で見たりします。
車谷長吉『漂流物』愚か者「ぬけがら」より
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リアルである、ということを考えます。自分の生活はリアルなのだ
ろうか。いろいろなたいへんなこと、手間がかかること、やっかい
なことを色々言い訳をして、誰かにやってもらっているだけでは
ないか、と。
この言葉に当たったとき、ガツンときた。今でもこの言葉には心が
ざわつく。平気でいられたら楽なのだと思う。あたりまえだと思え
ば、平気なのです。でも、ふと疑問に思うと苦しい。どうにも苦し
くて、生きていくことが一気に辛くて大変なことになる。でも、
その苦しみを抱えて生きることが、リアルに生きることなのかも
しれないと思うのです。

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2010年2月24日 (水)

無力であることの自覚アリマス

自分が無力であると認めるのはつらいことですが、おのれの無力さ
や無知さを知らない人の行為はときに恐ろしい結果を招く場合も
あるのでは、と危惧しています。
天童荒太『永遠の仔』より
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私は1ヶ月に2、3回くらい自分の無力さに落ち込みます。
そのマイナス思考は数日続くので、つまりは、いつでも自分に自信
をなくしているということです。
ハッタリと勢いでなんとかやっていますが、その後、必ずその反動
が来ています。確実に来ています。
あまりにも自分に自信がないので、誰でもうらやましく思えたり
します。「友がみな我より偉く見ゆる日よ」の啄木みたいです。
でも、天童荒太のこの言葉を聞いて、自分の無力さに落ち込むこと
も一概に無駄ではないのかな、と少し心が休まるようです。

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2010年2月21日 (日)

雪の降る空を見上げると。

雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの
世界の方が上へ上へと昇っているのだ。静かに、滑らかに、着実に、
世界は上昇を続けていた。ぼくはその世界の真中に置かれた岩に坐
っていた。岩が昇り、海の全部が、厖大な量の水のすべてが、波一
つ立てずに昇り、それを見るぼくが昇っている。雪はその限りない
上昇の指標でしかなかった。
池澤夏樹『スティルライフ』より
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ビルの窓から雪が降ってくるのを見ていたとき、雪が昇ってくる
感覚におそわれたことがあった。
自分の置かれている位置が心もとなくなり、軽い目眩のような
感覚だった。
雪がしんしんと降ってくると、降る雪を見上げて、いつもこの言葉
を思い出す。
雪は降るのではない。私たちが昇っているのだ、と。
雪の降る白い世界では、なにか不思議な感覚になる。

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2010年2月15日 (月)

またまた、ハニカミのこと

男のやさしさには、人間としてのかなしみやはにかみの裏打ちが
あるように私には思えます。
やさしいしぐさ、やさしいことばをかける時の男の顔は、私の
知っている限り、どこかかなしげであり、はにかみを浮かべて
いるのです。
向田邦子『女を斬るな狐を斬れ』
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向田邦子に憧れていた。
20代の頃。
その生き方に憧れていた、
と思っていたのだれど、
その生活の仕方に憧れていたような気がする。
美しい器、おいしい料理、旅行、
魅力的な人たちとの繋がり・・・
20代、私が憧れていたのはきっと外側の
見える部分。
人としての深み、というのを感じられなくては
自分も厚みのある人生にはならないだろうと思えます。
はにかみが人の深みをあらわすものだからこそ
“教養”に繋がるのかもしれませんね。

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2010年2月14日 (日)

バレンタインデー

一ばんいいひととして、ひっそりと命がけで生きて下さい。
                      コイシイ。
太宰治
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太宰はすごい。
なんだかすごいなぁ。

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2010年2月13日 (土)

さよならだけが人生だ

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
井伏鱒二『勧酒』
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先日、恩師が亡くなりました。
とてもお酒の好きな方で
中国旅行に行った時
老酒を楽しそうに飲んでいたのを思い出します。
その円卓にはカエルの姿煮のピラミッド。
だれも箸をつけようとしないのを
うまいうまいと先生は美味しそうに食べていました。
ウサギやらナマコやらサソリやら
大騒ぎしながらみんなで食べました。
ご一緒させていただいた3回の中国旅行は
私にとって人生観を変えた旅でした。
広大な砂漠と真っ青に抜けるような空
砂嵐で霞む街の風景
何千も前の遺跡
自分の小ささを思い知らされました。
でもそのおかげできっと何かが変わったと思います。
哈密(ハミ)で食べたハミ瓜
桜蘭で飲んだ葡萄酒
美味しい思い出ばかりが思い出されます。
さよならだけが人生だけど
老酒を飲んでいる先生は、
これからも、私の思い出話のなかに時々登場するのでしょう。

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